やっと見た。
録画を見る水曜日の7時。でもけんけんが膝の上でクジラの講釈をしながら図鑑を拡げていたので半分くらい見られなかった。会話しつつテレビ見るって芸当が私にはできないんだよ。
散々番宣で井戸で抱き合ったり会話したりする襄さんと八重さんを見ていたので、何だか私の中で勝手に話が進んでいて、今更旅券を見せて日本の地に降り立った襄さんに違和感が・・・。まだ帰ってなかったのかこの男、などと思ってしまった。

聖書は難しい。
咄嗟に理解できる教えはでも信用できない。
この時代の宣教師で南の島とかに行って食べられちゃったり殺されちゃったりした人は結構たくさん居たというから、宣教師の使命感だの、過酷さを求める志だのは計り知れない。
キリスト教は肌で知っているのはカソリックだから、プロテスタントはまだ経験できないな。経験してみたいと思います。
カソリックはねー、なんか、ユルイねって思ったよ。
プロテスタントは浄土真宗な印象を持っている。
バッハはプロテスタントなんだよね・・・。どうしてもプロテスタントって、アメリカンなイメージが拭えないんだが、本場はドイツなんだよね。
だめだ、どうやっても大草原なイメージが・・・。ローラ・インガルスが・・。
ヨーロッパつーとサウンドオブミュージックが・・・。
シスターがあの尼僧姿で鉄柵の向こうに居て十字切っている印象が拭えません。
ところで、宣教師の介在なしでマタイを読んで、この教えは戦場で滅亡を経験した妹の魂に必要だなどと感じた兄つぁまの感性はただ事じゃない。講義は受けたのか?

(いま読んでる白鯨が開国前の小説なので、ちょっと感慨深かった。
イシュマエル君も、いずれあの厳重に鎖された日本もクジラの油のために開国せざるを得ない、みたいなこと言ってるのが面白かった。)

気になったのは、八重さんが教えてもらっている講義の最中に先生が、絶望、という言葉を口にしたこと。
悲しみに打ちひしがれたとき、とかはわかるんだけど、
絶望しちゃイカンのではないか。
まず望みに関することを教えなならんのではないかね。
絶望、という言葉は少し、この場面で使うのは軽率じゃないかなと思いました。

あとはマキちゃん知事とか、カルチャーショックすぎる襄さんとか、にやにやしながら見ましたよ。にやにやしながらも含ませるものがたくさんあったので面白かった。

せっかくの回想シーンよくみられなかったからたぶん来週とか再来週にもう一回見直します。

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