そんな番組、見ちゃいけません!
2013年9月5日 家族・子育て母熊センサーというものがある。
検索しても何も出てこない。私が勝手にそう呼んでいる。
小熊を連れている母熊は攻撃的になるってアレのことだ。
普段襲わない相手も襲うようになる。
母親というものは子供がいると警告センサーが強化されるんである。
私はホラーは無理だけど、流血シーンや暴力シーンなどは全然問題にしない人格で、実際自分の書いている漫画でも斬り合いなんかは好んで描いていたし、映像作品を見るうえでも、綺麗な戦闘シーンなんか欺瞞だ。戦争シーンは酸鼻極まるものであるに決まっている、と思っていたし思っている。
「子どもを持つと考えが変わるよ」
と言われたことがある。
子どもを持った。
変わった。
考えが変わったわけではないんである。
出産とともに脳みその機能が追加されたんである。
それが母熊センサーなんである。
このセンサーは自動で本人であってもオンオフが自由にできない。勝手に作動して鳴りやむ鳴りやまないはランダムである。
ものすごく迷惑でストレスになる。
ケンケンの産後実家で過ごしていた時分、東京大空襲の再現番組がNHKでやっていた。知っていおいた方が良い史実なので見ていた。甘い匂いのするケンケンを抱いていた。空襲が始まって爆弾が投下されて町が火の海になる。震撼の事実が提示され続ける。隣で父が見ている。
電源を切ってくれと思った。
ケンケンを抱いて隣室に下がっても腕が震えてたまらない。
もう一回リビングに戻って、申し訳ありませんがハッピーな番組を見せてほしいと頼んだ。
お笑い番組を見てようやく人心地ついた。
そういう自分にちょっとがっかりした。
ケンケンが五歳になって毎週ヒーローものを見るようになる。映画にも一緒に行って見た。戦闘シーンが苦痛。若者が飛んだり跳ねたり、元気いっぱいに躍動する様は爽快なんだけれども、お腹を蹴ったり、血が見えたり、変身していない姿で負けているときに、グッと辛くなる。以前は迫力があるなどとのんきに見ていた場面でも、これはけしからん、という気持ちになる。こどもが見るテレビや映画なのにこんなに暴力シーンが満載なんて間違っていると思う。しかし待てよと思う。
当のこどもは案外平気なんである。
振り返って自分の子供時代何を見ていたかと言えば、銀河鉄道999とか、キン肉マンとか、銀牙とか、銃で撃たれてハチの巣になったり、鉄爪で頭を抉られたり、腕が飛んだり足が飛んだり、もう大変なんである。
それを見て育ってなんか人格形成にどうだったかなんて専門家でないから解らないけど、大したことなかった気がする。
問題はこどもではない。
一緒に見ている母親が普通に辛いだけなんじゃなかろうかということなんである。
母も祖母もキン肉マンは嫌がった。
うる星やつらは言葉が悪いと禁止された。
ガンダムとかのロボ戦ものを見ていると祖母は露骨に嫌な顔をした。
今理解する。そういう暴力番組をつけていて嫌だっただろうなー!
テレビは部屋の中にある。
何十メートルも離れてテレビをみる人はいない。
テレビは文明の利器である。茶の間にお目見えしてからまだ百年経っていない。
同じ部屋の中で、あるいは三メートルくらいの距離で、子どもと一緒にいるとき、男たちが殴り合いや殺し合いを始めたら、大人は子供をどうするか。
可及的速やかに子供を抱き上げて逃げるに決まっている。危険である。
そういう状況が目の前で繰り広げられている。
しかしこれは虚構であってテレビであって身の危険は無いということは頭では分かっていても、母熊センサーは作動する。
殺し合いをしているすぐそばに子どもを置いて、平気でいなければならない。
汚い言葉の応酬。・・・こんな振る舞いを群れの中でしていては、群れの中にはいられない。上位の仲間にかみ殺されるかもしれない!・・・でも平気でいなければならない。
原始の記憶と経験が、文明の利器についていけないんである。
この辺の生理をみんなもう少し自覚自認、そして他の人にも認めてほしい。
母熊センサーは自分ではリセットできないものなのだ。
バカなPTA、などと憤慨する以前に、しんどいんだな、などと見守ってほしいなーと思ったり思わなかったりします。
検索しても何も出てこない。私が勝手にそう呼んでいる。
小熊を連れている母熊は攻撃的になるってアレのことだ。
普段襲わない相手も襲うようになる。
母親というものは子供がいると警告センサーが強化されるんである。
私はホラーは無理だけど、流血シーンや暴力シーンなどは全然問題にしない人格で、実際自分の書いている漫画でも斬り合いなんかは好んで描いていたし、映像作品を見るうえでも、綺麗な戦闘シーンなんか欺瞞だ。戦争シーンは酸鼻極まるものであるに決まっている、と思っていたし思っている。
「子どもを持つと考えが変わるよ」
と言われたことがある。
子どもを持った。
変わった。
考えが変わったわけではないんである。
出産とともに脳みその機能が追加されたんである。
それが母熊センサーなんである。
このセンサーは自動で本人であってもオンオフが自由にできない。勝手に作動して鳴りやむ鳴りやまないはランダムである。
ものすごく迷惑でストレスになる。
ケンケンの産後実家で過ごしていた時分、東京大空襲の再現番組がNHKでやっていた。知っていおいた方が良い史実なので見ていた。甘い匂いのするケンケンを抱いていた。空襲が始まって爆弾が投下されて町が火の海になる。震撼の事実が提示され続ける。隣で父が見ている。
電源を切ってくれと思った。
ケンケンを抱いて隣室に下がっても腕が震えてたまらない。
もう一回リビングに戻って、申し訳ありませんがハッピーな番組を見せてほしいと頼んだ。
お笑い番組を見てようやく人心地ついた。
そういう自分にちょっとがっかりした。
ケンケンが五歳になって毎週ヒーローものを見るようになる。映画にも一緒に行って見た。戦闘シーンが苦痛。若者が飛んだり跳ねたり、元気いっぱいに躍動する様は爽快なんだけれども、お腹を蹴ったり、血が見えたり、変身していない姿で負けているときに、グッと辛くなる。以前は迫力があるなどとのんきに見ていた場面でも、これはけしからん、という気持ちになる。こどもが見るテレビや映画なのにこんなに暴力シーンが満載なんて間違っていると思う。しかし待てよと思う。
当のこどもは案外平気なんである。
振り返って自分の子供時代何を見ていたかと言えば、銀河鉄道999とか、キン肉マンとか、銀牙とか、銃で撃たれてハチの巣になったり、鉄爪で頭を抉られたり、腕が飛んだり足が飛んだり、もう大変なんである。
それを見て育ってなんか人格形成にどうだったかなんて専門家でないから解らないけど、大したことなかった気がする。
問題はこどもではない。
一緒に見ている母親が普通に辛いだけなんじゃなかろうかということなんである。
母も祖母もキン肉マンは嫌がった。
うる星やつらは言葉が悪いと禁止された。
ガンダムとかのロボ戦ものを見ていると祖母は露骨に嫌な顔をした。
今理解する。そういう暴力番組をつけていて嫌だっただろうなー!
テレビは部屋の中にある。
何十メートルも離れてテレビをみる人はいない。
テレビは文明の利器である。茶の間にお目見えしてからまだ百年経っていない。
同じ部屋の中で、あるいは三メートルくらいの距離で、子どもと一緒にいるとき、男たちが殴り合いや殺し合いを始めたら、大人は子供をどうするか。
可及的速やかに子供を抱き上げて逃げるに決まっている。危険である。
そういう状況が目の前で繰り広げられている。
しかしこれは虚構であってテレビであって身の危険は無いということは頭では分かっていても、母熊センサーは作動する。
殺し合いをしているすぐそばに子どもを置いて、平気でいなければならない。
汚い言葉の応酬。・・・こんな振る舞いを群れの中でしていては、群れの中にはいられない。上位の仲間にかみ殺されるかもしれない!・・・でも平気でいなければならない。
原始の記憶と経験が、文明の利器についていけないんである。
この辺の生理をみんなもう少し自覚自認、そして他の人にも認めてほしい。
母熊センサーは自分ではリセットできないものなのだ。
バカなPTA、などと憤慨する以前に、しんどいんだな、などと見守ってほしいなーと思ったり思わなかったりします。
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